西光寺の沿革と紹介

西光寺の創建~改宗の伝承

伝承ですが鎌倉時代の文治年間(1185〜1189)、甲斐源氏の系統に属する野村義資という武人が出家して教了と号し、西光寺を創建したと伝えています。その頃の宗旨は天台宗でした。教了から数えて第10代住職祐了の時、浄土真宗に改宗しました。明応5年(1496)とも明応9年(1500)とも伝えています。そのときに下付されたと思われる六字名号、九字名号が伝わっています。

改宗のとき下付された六字名号
改宗のとき下付された六字名号

寺号公称~現在

永正9年(1512)2月25日付けで、前述の祐了が本願寺第9世実如上人から御本尊の阿弥陀如来御絵像(方便法身尊像)を下付され、本願寺末寺として寺号公称を認められました。このとき実如上人から正信偈御文2幅もいっしょに下付されています。

以後、西光寺は祐了を開基(改宗開基)とし、門徒が仏法を聴聞するための集会場・念仏道場として門徒によって護持され現在に至っています。

浄土真宗は宗祖親鸞聖人が妻帯を公言され家庭を営まれたことで、寺院の形態が一般的に世襲になりました。しかしこれは仏教の歴史の中では極めて例外的なことで、江戸時代までは浄土真宗の寺院だけに見られることでした。世襲が受け入れられた背景には、浄土真宗が『他力』の教え在家仏教を旨とする教えであり、さらに寺が地域に土着したことが大きいと考えられます。

西光寺は開基祐了の家系(野村家)が世襲し今日に到っています。しかしその道のりは決して平坦では無く、何度も養子を迎えつないできました。

実如上人下付の阿弥陀如来御絵像
実如上人下付の阿弥陀如来御絵像

西光寺の歴代

開 基/祐了
大永4年(1524)3月18日往生
第2代/善了
天文10年(1541)5月6日往生
第3代/明了
元和8年(1622)8月24日往生
第4代/了祐
万治4年(1661)9月26日往生 ※了悟とも(別記録)
第5代/了意
元禄13年(1700)12月21日往生
第6代/了空
宝永8年(1711)3月16日往生
元禄8年(1695)9月17日鐘楼再建。 ※現在の鐘楼
第7代/了恵
享保11年(1726)1月18日往生
第8代/了融
天明6年(1786)12月1日往生
第9代/了探
享和3年(1803)11月10日往生
天明2年(1782)5月山門再建。
第10代/了然
文化13年(1816)11月11日往生
第11代/了諦
文政元年(1818)12月15日往生
第12代/了観
安政6年(1859)9月1日往生
第13代/了厳
慶応元年(1865)11月21日往生
嘉永3年(1850)11月本堂再建。 ※現在の本堂
第14代/了膳
明治2年(1869)11月2日往生
第15代/了全
明治9年(1876)6月23日往生
第16代/宗隆
大正5年(1916)11月14日往生
明治25年(1892)書院・玄関建立
※濃尾震災の翌年
第17代/了本
昭和22年(1947)6月29日往生
昭和21年(1946)4月22日第二次世界大戦時の供出で無くなった梵鐘を新調。 
第18代/了一
昭和63年(1988)庫裏再建
平成10年(1998)山門再建 ※現山門
第19代/了嗣
平成25年(2013)本堂大修復