- 開 基/祐了
- 大永4年(1524)3月18日往生
- 第2代/善了
- 天文10年(1541)5月6日往生
- 第3代/明了
- 元和8年(1622)8月24日往生
- 第4代/了祐
- 万治4年(1661)9月26日往生 ※了悟とも(別記録)
- 第5代/了意
- 元禄13年(1700)12月21日往生
- 第6代/了空
- 宝永8年(1711)3月16日往生
元禄8年(1695)9月17日鐘楼再建。 ※現在の鐘楼 - 第7代/了恵
- 享保11年(1726)1月18日往生
- 第8代/了融
- 天明6年(1786)12月1日往生
- 第9代/了探
- 享和3年(1803)11月10日往生
天明2年(1782)5月山門再建。 - 第10代/了然
- 文化13年(1816)11月11日往生
- 第11代/了諦
- 文政元年(1818)12月15日往生
- 第12代/了観
- 安政6年(1859)9月1日往生
- 第13代/了厳
- 慶応元年(1865)11月21日往生
嘉永3年(1850)11月本堂再建。 ※現在の本堂 - 第14代/了膳
- 明治2年(1869)11月2日往生
- 第15代/了全
- 明治9年(1876)6月23日往生
- 第16代/宗隆
- 大正5年(1916)11月14日往生
明治25年(1892)書院・玄関建立
※濃尾震災の翌年 - 第17代/了本
- 昭和22年(1947)6月29日往生
昭和21年(1946)4月22日第二次世界大戦時の供出で無くなった梵鐘を新調。 - 第18代/了一
- 昭和63年(1988)庫裏再建
平成10年(1998)山門再建 ※現山門 - 第19代/了嗣
- 平成25年(2013)本堂大修復
伝承ですが鎌倉時代の文治年間(1185〜1189)、甲斐源氏の系統に属する野村義資という武人が出家して教了と号し、西光寺を創建したと伝えています。その頃の宗旨は天台宗でした。教了から数えて第10代住職祐了の時、浄土真宗に改宗しました。明応5年(1496)とも明応9年(1500)とも伝えています。そのときに下付されたと思われる六字名号、九字名号が伝わっています。